【日記】長編古典講師ミュルミドネスの雑感

古典の話とがも含めて何でも

黙っていることの重要性

私の動画を観てもわからなくて当然だが、日常生活では、私はかなり無口である。もちろん必要に応じては話すが、基本的に口をつぐむ方が多い。

 

というのも、「喋らなくて正解だった」という成功体験と、「余計なことを話した」という失敗体験がかなり蓄積されているからだ。

 

たとえば、このブログでも語っている通り、私はプロ野球クライマックスシリーズの廃止論者である。だが、クライマックスシリーズに賛同している人に鋭く意見を刺すようなことはしない。

「日本一って何だろうね」とか「巨人と横浜のクライマックスシリーズは最終戦までもつれて、巨人は興行的には成功だけど、日本シリーズに出ていたらもっと儲かっただろうにね」とか、直接的に言わずに相手が頷くことを述べるのである。

 

たまに、「巨人ファンかわいそう!クライマックスシリーズ廃止すべきだ!」と敢えて勢いよく言うこともあるが、しかし、基本的には間接的に否定の方向に引っ張ろうとしている。

 

こうすると、場の空気も荒れないし、不思議なもので横浜が日本一になったときに、クライマックスシリーズ賛成論者が「3位のチームが日本一なんておかしいだろ」とか言い始めてくれる。

 

とはいえ、こういう成功ばかりではない。いつもいつも当意即妙なことを言えるとは限らないから、たいていの場合は無理せず黙って雌伏の時を待つのである。

 

何も10割バッターになる必要がないのは野球と同じで、口を挟めない話題のときは、相づちを打ったり、黙っていれば良い。ほとんど黙っていても、ここぞというチャンスで上手く喋れば、「話せない奴」とは思われないから。もちろんたまに失敗することもあるが、それはたいてい人間の強力な忘却力に委ねればよい。