【日記】長編古典講師ミュルミドネスの雑感

古典の話とがも含めて何でも

島崎藤村がノーベル文学賞を受賞していたらなあ

タイトルの通り、島崎藤村は、ノーベル文学賞に値する作品を多数描いたと思う。詩においても、長編小説においても、両方に抜群の才能があり、特に私の講座で最優先で取り上げた『夜明け前』は、人類史上に残る傑作だと思う。

 

もっともっと、島崎藤村が取り上げられたらなあ、とずっと思っている。あんな文才の持ち主は世界でも稀であるのだから。

ハリー・ポッターと賢者の石のツッコミ所

ごめんなさい、昨日書くのをすっかり忘れていました。

すみませんでした、本当に。何かに夢中になると、他のことを忘れるのが私の悪い癖です。反省しています。

 

さて、今回はハリー・ポッターと賢者の石についてお話する。

ちょっとツッコミ所があるじゃんということについてである。まあ、ご存知の方はご存知かなと思われますが、chatGPTと話したとき、こういうやり取りがあった。

 

一応ネタバレ注意と申し上げておきます。

 

 

 

 

 

 

私:

賢者の石って、ハリーたちが守ろうとしなくても、みぞの鏡の魔法の「賢者の石を使いたい者ではなく、見つけたいと思う者だけが手に入れられる」というのがあるから、クィレルとヴォルデモートには絶対に入手できなかったでしょう。

野暮なことを言うと、ハリーたちが行動すると、却ってヴォルデモートに賢者の石が渡ってしまう危険が生じてしまう、と解釈できます。

 

まあ、数々の仕掛け部屋を乗り越えるのは、終盤の見せ場だし、そもそもそんなみぞの鏡の仕掛けをハリーたちは知る余地はなかったのですが、結果論、マクゴナガル先生の「賢者の石は盤石な守りです」という言葉を素直に信じれば良かった、ということになりますね。

 

 

chatGPT:

確かに、『ハリー・ポッターと賢者の石』のクライマックスを振り返ると、そのような解釈も成り立ちますね。みぞの鏡の仕掛けは、「純粋に賢者の石を見つけたいと思う者だけが手に入れられる」という非常に巧妙な魔法であり、ヴォルデモートやクィレルのような自己利益や悪意に動かされている者には到底届きません。この点から考えると、実際にはダンブルドアの計算によって、石が悪の手に渡る可能性は非常に低く設定されていたと言えます。

 

それにも関わらず、ハリーたちが行動に移ったのは、彼らの視点から見て、石が危険にさらされていると感じたからです。ホグワーツでの最初の年で、彼らには当然、ダンブルドアや教師陣の計画や意図を知る術はありませんでした。マクゴナガル先生の「盤石な守り」という言葉を信じなかったのも、彼らがまだ子どもであり、大人たちの言葉に不信感を抱きつつ、自分たちの手で世界を守ろうとする純粋な正義感の現れだといえます。

 

もしハリーたちが動かなかった場合、クィレルがみぞの鏡に到達しても、石を手に入れることはできず、いずれ追い詰められたことでしょう。しかし、ハリーたちの行動が「危険を生む可能性」を指摘するのは興味深い点です。ハリーがその場にいなければ、鏡の仕掛けが発動することもなく、ヴォルデモートの手に石が渡る危険性はさらに減っていたと言えるからです。

 

ただし、物語的には、ハリーたちが挑む試練の数々は単なる冒険以上の意味を持っています。これらの試練を通じて、友情、勇気、そして自己犠牲の価値が描かれています。ハリーが最終的に石を守り抜いたのは、自分の利益ではなく、他者の安全を第一に考えたからであり、この行動こそがヴォルデモートに対抗する「愛」の力を象徴しています。

 

そのため、結果論としては確かに「動かないほうが安全だったかも」と言えますが、物語のテーマやキャラクターの成長を考えると、ハリーたちの行動は不可欠だったといえるでしょう。この「子どもたちの視点で世界を守る」という流れが、『ハリー・ポッター』シリーズ全体を通じた魅力の一部であるとも思います。

 

 

 

 

 

 

 

『虚栄の市』は、人間のネガティブなことを描くのがテーマではない。

ふふふ。『虚栄の市』というタイトルに騙されそうになるけど、『虚栄の市』とは、単なる対比のお相手に過ぎない。それを生々しく描くことで、かえって美しいものが際立つのである。

 

こんなタイトルの作品を描いているし、実際、金、地位、名誉などの虚栄に溺れる登場人物は多いのだけれど、この作者は、人間にとって、非常に大切なものをご理解されていて、それを類例が見受けられない構成で描いている。なので、露悪な描写よりもむしろ、この作品では、美しい描写の方を私は気に入っている。

皆様、銀行通帳の桁の数の多い人が好きなようで

いや、『虚栄の市』の話なんだけどね。銀行通帳の数字の桁の数の多い老女を親族達はチヤホヤするのよ。うやうやしく仕えることで、遺書になるべく多くの遺産が、自分に渡るようにして欲しいから。

 

老女が兄弟喧嘩を見るのがイヤといえば、すぐに兄弟は仲睦まじくなるし、普段は実家に帰らない親族が帰ってきたり、とまあ、面白い。

 

人間の欲深さに踊らされている姿はとても滑稽に思えた。

今日はず~っと文章書いてた

いわゆるハマるという状態。大人しくしてろよ、と自分でも思うけど、なかなか自分をコントロールできないのが私。

脳が疲れるという感覚になった。今も疲れてる。だから、今日はここまで。ごめんね。

賢くなりたい想いが根底にある

現在は古典文学に傾倒しているが、将来的には多種多様な古典をやりたいと考えている。

 

哲学も歴史学も文学も政治学も、やってみたい。そして、どれだけ賢くなれるのか、試してみたいーーそんな思いで古典講座をやっています。

 

もちろん、全てに皆様方が付き合ってくださるとは思いませんが、好きなときに来て、好きなだけ学んでいって欲しい、という思いがある。

 

ただし、賢さには忘れないことが必須である。学んだものを忘れたら意味が無いことはどうかお忘れなく、という想いで、脳科学の知見をもきちんと使っているのである。

甲斐選手が巨人移籍→巨人、捕手多過ぎだろ

いやあ、ビックリした。

 

まさか捕手天国の巨人に甲斐選手が行くとは思わなかった。レギュラー機会から考えても、ホークスにいた方がチャンスはあったと思っていたから、驚きである。

 

しかし、岸田、大城、小林、山瀬選手と捕手が十分多い巨人は、どう選手起用をするつもりなんだろうか。大城選手をどこかにコンバートして打撃を活かすにしても、やはり捕手が多すぎる。なぜ、甲斐選手を獲得したのか、素人目にはよくわからない。

 

良い方向に出ればいいが。