【日記】長編古典講師ミュルミドネスの雑感

古典の話とがも含めて何でも

野球は人生に似てる。ボテボテの打球がヒットになったり、強烈な打球がアウトになったり

なんか名言っぽいタイトルだけど(笑)、私は別に誰かの心に刺さる名言を書きたいと思わない。

 

経験則上、短い作品だと忘れられるから、忘れたくない人のために脳科学に基づく勉強法をお伝えし、長めの作品ならば忘れづらいから講座の中で中心的に扱っている。こういう人間なもんだから、ちょこっとした名言が読者の頭に焼き付くことは期待していないし、そもそも「お前の名言は、私の名言じゃない」と言われそうだから、格好良い短文より、長くてわかりやすい表現を心がけている。

 

さて、タイトルの野球の話だが、最近野球用語がメジャーじゃないから(エンタメの多様化で)、万人に伝わる言葉になっているか不安であるが、実際、野球中継を見ていると、バットに辛うじて当てただけの打球がたまたま内野の間を抜けてヒットになることがあるし、強烈なライナー性の打球が野手の正面を突いてしまいアウトになることがある。

 

人生も似たようなもので、何も考えずに生きても、たまたま友人関係なり、得意分野に恵まれて、幸福を享受できたり、逆に、どれだけ努力しても、他人のミスでうまくいかなかったり、失敗しないように綿密に計画しても失敗してしまうことがある。

 

もちろん、野球では、痛烈なライナー性の打球の方がヒットになる確率は高いし、ボテボテの打球がヒットになる確率は低い。どこの野球の指導者も、バントなどの例外を除けば、弱い打球を打て、などとは指導しないだろう。

 

人生も同じ。努力した人間が報われることが多いし、失敗しないようにきちんとプランを練った人間の方が成功する確率は高い。でも、絶対に成功するわけではないのは、痛烈なライナーが野手の正面を突くのと同じだ。9割の確率でうまくいくということは、1割の確率で失敗することを意味していて、そこを引いてしまったら、しょうがない。

 

じゃあどうすればいいか、と問われたら、強いライナーを打つ練習をして、何度もバッターボックスに立つことである。それと同じように、きちんと成功するように、失敗しないように計画を立てて臨むことである。とにかく努力して試行回数を増やすしかない。

 

バッターボックスに何度も立てば、痛烈な打球が野手の正面を突くことも、ボテボテのゴロがヒットになることもある。つまり、幸運と不運の両方を経験できるのだ。

 

人生も同じ。たくさんチャレンジすれば、ちゃんと努力したのに報われない不運もあるし、大して努力していないのにうまくいってしまう幸運に出会えることもある。

 

だから、野球と人生は、そっくりな気がする。努力してもうまくいかないことがあるし、さして頑張らなくともうまくいくことがあるという点で。

 

このことが、私の心の支えになっているかといわれたら、まあ、そこそこは支えになっている。失敗した時には、「痛烈な打球は飛ばしたけど野手の正面を突いたんだ」と思うようにしている。